2024.07.22
鍼灸師をめざしたきっかけ
26歳 一人旅からの気づき
私は、沢木耕太郎の「深夜特急」に憧れ、「26歳は旅の適齢期」という著者の言葉をそのままに、25歳を過ぎた時、それまで働いて貯めたお金で、アジア圏をリュック一つ背負い旅に出ました。
当時の日本は、阪神淡路大震災やオウム真理教事件などで不安や悲しみが多い時でした。海外にいると、日本の最新情報を旅行者から聞くたびに不安を感じ、日本全体が先行きの見えない漠然とした不安に包まれているように思いました。
一方、一人旅を続ける私は、個性あふれる人々との出会い、アジアの国々で、たくましく生きる人々の姿に刺激を受ける日々で、本当に楽しく、1泊1,000円以下の安宿に泊まり、インドのバラナシでは、暑くて寝苦しい夜には皆が屋上に上がり、夜空を眺めながら語り合い、自由で楽しい時を過ごしました。今でもまた行ってみたい気持ちもありますが、体力が保つかどうかが心配です。
旅を続ける中で、「どこででも生きていける人間が強い人間なのだ」と強く思いました。そして、「手に職があればどこででも生きていける」と考えたことが、鍼灸師を目指す一つのきっかけでした。
1年ほどでお金が尽き帰国しましたが、しばらくは、「また旅に出たい」という気持ちもあり、社会にも出られず、ニート状態でした。今思えば、旅先での強烈な刺激を消化するために必要なリハビリ期間であったように思います。
リハビリ期間(ニート期間)に、いろいろ思い巡らす中で「手に職をつけたい」という気持ちと、明治生まれの祖母が風邪をひいても、頭痛でも、何か体調に不安があると医者ではなく鍼灸院を訪ねて「良くなった」と喜んでいる姿がふと気になり、「鍼灸とは何」「人に喜んでもらえる仕事はいいな」と鍼灸に興味を持ったことが、もう一つの鍼灸師を目指すきっかけでした。
そこからは、ニート卒業です。鍼灸師になるための方法を調べ、国家資格が必要と知り、学費を稼ぐために再就職し、30歳手前で鍼灸学校の入学試験を受け、再び学生生活を始めました。
久しぶりの学生生活は苦労の中にも楽しみは多く、様々な勉強会に参加し、級友や先輩と切磋琢磨しながら知識を深めました。今の自分を形成する大きな経験となり、級友や先輩はそれぞれの地域で活躍されており、私はその影響を受けながら成長しました。
学ぶ中で、一番感銘を受けた治療方針は「中医学」でした。中医学の「弁証論治」という概念に基づき、患者一人ひとりの状態に合わせた診断を行い、鍼や灸、漢方やすいな(按摩)などを用いて治療する方法、この方法を極めていきたいとの思いで、中医学を取り入れた西区の「長谷川針灸院」で経験をつみ、自分自身の鍼灸院を開院したいとの思いで、ちょうどその頃育児休暇中の妻や大学時代の仲間の協力を得て千種区にて鍼灸院を開院することができました。
師匠である長谷川先生は「この道は一生勉強」と言っていたとおり、鍼灸の世界は非常に奥が深く、興味はつきません。まるで鍼灸師を目指してから今まで長い旅が続いているようです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
(ブログ見出しの写真は、千種区時代の治療院です)